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顕彰と助成

本年度の受賞者

※年齢は平成23年8月1日現在(敬称略)

平成23年度 第31回 伝統文化ポーラ賞 受賞者


優秀賞

工房にて、作品「羅馬聖光」ローマ セイコウの彩色製作風景

  • 中村 信喬(なかむら しんきょう)
  • 54歳
  • 福岡県
「博多人形の制作・伝承」
中村信喬さんは昭和32年、中村筑阿弥氏を祖父に、中村衍涯(えんがい)氏(福岡県重要無形文化財)の長男として福岡市に生まれる。幼い頃から三代目と呼ばれ、父の姿を見て育った。博多人形は、福岡県の伝統工芸品のひとつで、黒田武士や芸者、美人物などの種類があり、焼き土人形である。 昭和54年九州産業大学芸術学部美術学科を卒業後、家業を継ぐため京都で修行を積み、翌年継ぐこととなる。昭和58年に人形作家 林駒夫氏(昭和11年重要無形文化財「桐塑人形」保持者認定)に師事し、その時の経験から博多人形だけでなく、他流の人形や、肖像、博多祇園山笠の人形なども制作するようになる。そして、昭和60年伝統工芸人形展に初入選、平成11年日本伝統工芸展高松宮記念賞を受賞し、数々の受賞をしている。また、中村さんは九州産業大学芸術学部美術学科や博多織デベロップメントスクールの講師として後継者育成にも力を入れており、日本工芸会正会員、自立した博多人形師として多くの若い人形師を輩出し続けている。本年3月には個展「中村信喬の世界」(於:福岡三越)の開催を果たし、今後はローマ、パリでの展覧会も予定している。中村さんはこれまでの経験を活かし、博多人形の可能性を広げ、人に夢を与える人形を作り続けている。今まさに旬の輝きを放っている。

平成7年松本道子バレエ団ペルー公演「真夏の夜の夢」リハーサル風景

  • 有賀 二郎(ありが じろう)
  • 78歳
  • 東京都
「舞台美術の制作」
有賀二郎さんは、昭和8年東京に生まれ、東京芸術大学在学中より約60年余り日本舞踊、歌舞伎公演を始め、洋舞、児童劇等の舞踊・演劇全般にわたって、舞台美術の制作に携わり、多彩な舞台芸術の美術(装置、衣裳、小道具、仮面等)に新鮮な境地を示してきた。とくに日本舞踊の舞台美術には若い頃から関わり、著名な舞踊家たちの創作活動に大きな刺激と影響をあたえ、創作舞踊界にひとつの画期をもたらした。また、有賀さんの誠実な仕事への取り組みは、舞台美術家の故田中良氏、舞台照明家の故遠山静雄氏(元帝国劇場支配人)などからも信頼され、古典・創作にかかわらず新しい見解で舞台を創り、出演者からも大いに頼りにされている。舞台美術家は、表舞台には出ないが作品を生かす創作力を求められる存在であり、有賀さんの仕事は、舞台を見にきた観客の心を瞬時にとらえ、非日常の時空へ誘うための大きな役割を担い、演出の効果を高めることに奏功する。その成果は、かつて舞踊ペンクラブ賞を2回受賞していることでも明らかである。現在は、日本舞台美術協会会員、集団・日本舞踊21顧問として、後進の指導・育成にも力を注いでいる。有賀さんは、日本の伝統文化の発展・継承に多大の貢献を果たしてきており、今や舞台美術制作の発展に欠かせない存在である。

奨励賞

平成23年国立文楽劇場4月公演
鶴澤藤蔵襲名披露『源平布引滝』実盛物語の段 演奏風景

  • 鶴澤 藤蔵(つるざわ とうぞう)
  • 46歳
  • 大阪府
「人形浄瑠璃文楽三味線の伝承」
鶴澤藤蔵さんは、昭和40年九代目竹本綱大夫さん(平成19年重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽 太夫」保持者認定)の長男として生まれ、昭和51年十一歳で十世竹澤弥七に入門、昭和53年鶴澤清治の門下となり、昭和58年大阪朝日座で初舞台を踏んだ。豊かな天分に加え、稽古にも精進を重ね、正確なツボと技巧、絶妙の間と鋭い切っ先を体得し、大夫の息遣いを汲み取りながら演目に合った人物や状況の弾き分けを工夫して、主張のある三味線の妙音を奏で得るように成長を遂げてきた。平成2年国立劇場文楽賞奨励賞、文楽協会賞、平成8年大阪舞台芸術賞奨励賞(大阪府)などを受賞した。平成8年三十一歳で父竹本綱大夫の相三味線となり、次々と大曲に挑戦し、芸域を広めている。平成23年4月国立文楽劇場、5月国立劇場の公演において、親子で舞台をつとめる竹本綱大夫と鶴澤清二郎は、それぞれの祖父の名跡を同時に襲名し、父の綱大夫が九代目竹本源大夫、清二郎が二代目鶴澤藤蔵となった。襲名を機に、精進を重ね、今後文楽三味線方として、伝統芸能人形浄瑠璃文楽の発展に益々貢献することが期待されている。

地域賞


与市兵衛と定九郎が歌舞伎芝居「仮名手本忠臣蔵五段目」山崎街道の荒事を演ずる。平成23年5月5日。JR八郎潟駅前にて。「願人踊」の一場面。

北海道・東北
  • 一日市郷土芸術研究会
    (ひといちきょうどげいじゅつけんきゅうかい)
  • 秋田県
「一日市民俗芸能の保存・伝承」
八郎潟町一日市地区で5月5日に行われる「願人踊」。地元神社の祭典で五穀豊穣等を祈願しながら踊りを奉納後、地区の家々を巡演する門付け芸能である。女物の襦袢を着用した踊り手が早いリズムに合わせて力強く奔放に踊り、合間に「仮名手本忠臣蔵5段目」山崎街道を模したコミカルな寸劇を演ずるのが特徴。260年以上前から伝わる民俗芸能だが、戦後の混乱期には祭典統一により衰退しその歴史が途絶えそうな危機があった。昭和27年、一日市郷土芸術研究会はその願人踊の保存・伝承のため結成され、メンバーは行事を継続しながら、国立劇場や各地での公演に積極的に参加、東北を代表する民俗芸能に育てた。またこの地では供養・念仏の要素を残しながらも、豊作祈念、慰安も併せた娯楽性の強い踊りで4百年余りの歴史を持つと云われる「一日市盆踊」が8月18−20日の3日間催される。地元の老若男女が多数参加する盛大な盆踊りで「毛馬内」・「西馬音内」と並び秋田県三大盆踊りに称せられている。一日市郷土芸術研究会は県無形民俗文化財に指定されているこの二つの踊りの主たる保存団体となっているが、この他にも秋田音頭など地域の伝統芸能を後世に伝承すべく、地元の小中学生をはじめ地域住民への継続した講習会の実施、発表披露の公演、行事運営など幅広く活動を展開し、一日市の民俗芸能の保存継承に貢献、貴重な地域文化を支え続けている。

平成20年8月下旬頃の漆掻き作業風景

関東
  • 安島 道男(あじま みちお)
  • 81歳
  • 茨城県
「漆掻き技術の保存・伝承」
安島道男さんは、昭和5年茨城県大子町頃藤で生まれ、茨城県大子町で漆掻き(樹液採取)を始めたのは30代の頃からである。以後、50年にわたり地道に従事してきた。日本で使われる漆のうち90%以上が中国産を占めており、国内で採取されるものはごく僅かである。その中でも茨城県は全国第2位の生産量を誇り、その品質は非常に透明性があり高く評価され、岐阜の飛騨春慶にも供給されている。漆掻きは、山間部において6月頃から9月頃まで行い、1本の木からは僅かに年間200t未満の採取であり、特に夏場の暑い時期が最盛期の非常に過酷な労働である。漆液は漆の木が傷つけられると樹自体が傷を治そうとして漆液を分泌する。漆掻きは鎌を正確に漆層に差し入れることにより、不純物のない純粋な漆液を採取することができる。安島さんの掻く漆はその技術もさることながら、美しい光沢の漆液の性質で、漆塗りの人間国宝や、地元の漆工家から長く信頼されてきた。また、安島さんは平成23年2月に大子町で開催された、「うるしフォーラム・イン・大子」においては、「記念植樹」の企画に尽力し、また、漆掻き職人の後継者育成にも力を注ぎ、自分の持っている技術の伝承に努めている。安島さんのこれまでの地道な取り組み、そして漆掻きの高度な技術の伝承と後継者の育成が、我が国の漆文化に果たす役割は非常に大きい。

曳山上に設けられた三畳ほどの舞台で、小学生による歌舞伎芝居を上演する。西町、中町、東と三本の曳山のうちの中町曳山。平成22年の演目は鎌倉三代記・三浦別れの段。

北陸・甲信越・東海
  • 砺波子供歌舞伎曳山振興会
    (となみこどもかぶきひきやましんこうかい)
  • 富山県
「砺波子供歌舞伎の保存・伝承」
「出町(砺波市の前身)子ども歌舞伎曳山行事」は毎年出町神明宮の春季祭礼に五穀豊穣を祈って奉納される子供歌舞伎で、永年砺波の野に春を告げる風物詩として親しまれている(平成6年富山県無形民俗文化財に指定)。その沿革は天明年間に始まり、天明9年(1789年)に西町曳山車が建造され、後に中町・東が造られ、現在3基が春祭りに曳き出されている。曳山上の舞台で子供歌舞伎を定期的に行うのは全国でも6箇所のみと数少なく、衣裳やかつらを自前で準備しているのは出町だけである。第二次大戦中一時途絶え昭和21年に復活するが、師匠の高齢化、資金難などの継続危機の中、昭和35年に子供歌舞伎曳山車保存会(砺波子供歌舞伎曳山振興会前身)が結成された。振興会では、東京国立劇場指導者の竹本素八師匠、大阪文楽の竹本彩春師匠を招いて、子供歌舞伎では欠かせない浄瑠璃研磨、三味線教室の開催、子供たちへの演技指導など後継者育成に尽力している。なかでも子供三味線教室は毎年新しい受講者があり、春祭りの「三基曳き揃え」の時には、小・中・高校生が三台の曳山の上で「連れ弾き」をするなど大きな成果をあげている。平成10年より5年の歳月をかけて3基の曳山車の大規模な補修修復を実施し、砺波子供歌舞伎の次世代への保存・伝承への多大な貢献をしている。

展示会場での実演風景。
深江菅細工保存会のメンバーと一緒に撮影(平成15年頃)。

近畿
  • 深江菅細工保存会(ふかえすげざいくほぞんかい)
  • 大阪府
「菅細工の製作・継承」
大阪の上町台地の東側に位置する深江の地は、低湿地に自生した良質の菅が採れるため大和の古代氏族である笠縫氏が移り住んだとの伝承があり、歴代天皇の大嘗祭や、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮に用いられる儀式用の大きな菅笠は代々この地から調進されてきている。かつては深江のほぼすべての農家で菅細工が作られていたが、近代には帽子の普及に伴い菅笠づくりは廃れ、昭和30年代前半には深江菅細工の象徴である深江の菅田がなくなった。深江では、材料を他県から取り寄せ、幸田家にのみ菅細工の技術が代々受け継がれてきたが、昭和63年、幸田正子さんを中心に近所の主婦が集まり深江菅細工保存会が発足し、地元の小学校や区民まつりにおいて定期的に菅細工教室を開くなど、地域の方々に菅細工の技術を継承する活動を行っており、平成11年に大阪市指定文化財:無形文化財工芸技術保持団体の指定を受けている。また、平成19年10月菅細工保存会も協力し深江菅田保存会が結成され、深江産の菅草を育てる菅田を南深江公園内に復元させた。更に、平成22年7月「深江郷土資料館」が建設され、深江の菅細工の歴史や保存会の活動が紹介されている。平成20年には伊勢神宮より、平成25年に行われる第62回伊勢神宮式年遷宮の御料菅御笠・御翳奉製の依頼を受け、若い会員も含め製作準備に取り掛かっている。

突(つき)鑿(のみ)で羽を上げた後、鷽(うそ)の特徴である胸の朱(赤)色から彩色を行う。(毎年8月に行う木うそ後継者育成講習会にて)

九州・沖縄
  • 太宰府木うそ保存会(だざいふきうそほぞんかい)
  • 福岡県
「『太宰府の木うそ』の保存・伝承」
「太宰府の木うそ」は400年近い歴史があるとされており、鷽鳥の姿を模して、突鑿(つきのみ)を使って制作する一刀彫である。木うそは太宰府天満宮に縁のある神社で行われる鷽替神事とともに全国に広まり、各地で様々な形や色の木うそが制作されている。「太宰府の木うそ」は薄く巻き上げられた繊細な羽が特徴である。厚さ数ミリの羽を同じ幅、均等に鑿で削り出す制作技術は、非常に難しく、熟練した技が必要とされる。さらに、羽一枚、一枚を彩色し、鋭く大きな目や頭部に金紙を貼る木うそは太宰府独自の意匠と歴史を伝えるものである。 「太宰府の木うそ」は、昭和58年に福岡県指定特産民芸品に選定され、太宰府の顔として親しまれた。しかし、平成に入り、木うそ職人の急激な減少で太宰府天満宮前の店で木うそが見られなくなったが、保存会の活動により会員が増加し、平成10年12月に太宰府木うそ保存会が発足した。太宰府木うそ保存会は、会員の技術向上を目的とした後継者育成講習会や、木うそ展示会の開催など、設立当初から後継者の育成を進め、会員の増加と制作技術の伝承に努めている。平成23年1月、「太宰府の木うそ」は太宰府市市民遺産第1号に認定され、ますます、太宰府木うそ保存会は、木うその制作技術を伝承していくだけでなく、全国各地の「鷽替神事」や「木うそ」文化を保存、伝承する重要な役割を担っている。

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