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顕彰と助成

本年度の受賞者

平成28年度 第36回 伝統文化ポーラ賞 受賞者(敬称略)


優秀賞

自宅工房での絵付け作業 
平成28年7月21日

  • 神谷 紀雄(かみや のりお)
  • 昭和15年生まれ
  • 千葉県
鉄絵銅彩の制作・伝承

自由闊達に作品に「字を書くように絵を描く」のが、陶芸作家としての神谷紀雄さんのこだわり。神谷さんは酸化鉄で描く「鉄絵」と、還元炎焼成で赤に発色する銅の性質を利用して彩色する「銅彩」の技法の「鉄絵銅彩」で、平成20年に県指定無形文化財保持者に認定されている。
現在は千葉市に窯を構えるが、昭和15年栃木県益子生まれの益子焼窯元の四代目。神谷家は江戸時代末期の益子焼創業とともに窯業を開始。三代目の父親は横浜の港北区に窯を開き、その勧めで多摩美術大学に進み、陶芸の世界に入った。
美大を卒業後の昭和39年、24歳の時に千葉市東寺山の山林に窯を開く。以来、益子の土を使って皿や鉢、花器などを作っている。その転機は、昭和42年に人間国宝の田村耕一氏に師事したこと。ここで「鉄絵」と、「銅彩」の技法に出会った。
冒頭の言葉にもあるように、神谷さんの持ち味は、親しみのある鷹揚なスタイルと称されるが、ここで「鉄絵」「銅彩」という二つの技法を同時に用いた「鉄絵銅彩」の技法を駆使した作風を確立。この技法名を記して初めて出品した作品で、昭和61年第26回日本伝統工芸新作展で奨励賞を受賞している。神谷さんの現代的な感覚での表現が評価され、師の「鉄絵銅彩」の技法を受け継ぎながらも着実に自身の表現として今日に広めてきた。平成15年には第50回日本伝統工芸展の「鉄絵秋海棠文長皿」で第50回展記念賞を受賞する等、評価を得てきた。
平成17年に後進育成のために陶芸家グループ「陶葉会」も発足させ、毎年のように会員から公募展の受賞者を輩出。平成24年にはその活動を通して地域の芸術・文化を発展させた功績が認められて文化庁の地域文化功労者の表彰を受けた。千葉県美術会常任理事としての要職や、鉄絵銅彩の作家でありながら、後進の指導・育成を継続的に行っている優れた指導者としての功績を認められ、今回の優秀賞となった。


「箏道音楽院創立記念演奏会」での
宮城道雄作曲「水の変態」演奏の様子
平成28年5月22日東京証券会館ホール

  • 砂崎 知子(すなざき ともこ)
  • 昭和17年生まれ
  • 東京都
箏曲の演奏・振興

平成28年1月1日、現代を代表する箏曲家として評価される砂崎知子さんは自らが主宰し45年の歴史を持つ「箏志会」を母体とする「そうどう音楽院」を創立し、さらなる邦楽の未来へ向けての新しい活動に入った。その軽やかな行動力を裏付けるように、砂崎さんは宮城道雄作品から古典曲、現代邦楽、時にはクラシックと、和洋を問わず幅広いジャンルの箏演奏の可能性を切り拓いてきた。中でも昭和53年の「琴 ヴィヴァルディ『四季』」は、クラシックを十三弦箏を駆使した超絶技巧で演奏し、新たな箏演奏技法の可能性を示したと評価されている。また、牧野由多可など数多くの作曲家からの信頼を得て、優れた委嘱作品の創作への広がりも出てきた。
岡山市出身の砂崎さんは、6歳から宮城道雄の直弟子だった母の砂崎澄江に学び、宮城喜代子、宮城数江に師事し、東京藝術大学、大学院へと進む。昭和46年、同窓生らと結成した「箏三人会」で演奏活動をスタート。昭和49年に第1回のリサイタルを開始すると同時に、宮城合奏団、日本音楽集団などで、国内外で演奏活動を行ってきた。こうした活動で、昭和62年文化庁芸術祭賞(音楽部門)、平成11年大阪文化祭賞、平成23年文化庁芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞している。
また、砂崎さんは、東京藝術大学講師、大阪音楽大学教授、洗足学園音楽大学邦楽科客員教授などの教師活動とともに、東京・大阪・岡山に拠点を置き、多数の門人を育成。自ら習得した高い技術を惜しみなく伝える指導で、数多くの若い演奏家を輩出。このほか、全国小中学校生箏曲コンクール、全国高校生邦楽コンクールの審査員も務め、若い邦楽の芽の発掘にも貢献してきた。
平成28年5月には、自身の作曲による創作作品をまとめたCD「砂崎知子作品集」を発売。「光の中で」「烏城」「富士讃歌」など、作曲家として彼女の多彩な演奏技法を活かした楽曲で、これまでも楽譜公刊されて幅広い演奏者に支持されてきた。
こうして、音楽家としての弛まぬ努力よる卓越した実力と、後進に自ら確立した演奏りょうを惜しみなく伝承する教授活動が認められて、今回の優秀賞となった。


奨励賞

地唄「珠取海女」で第50回なにわ芸術祭 新進舞踊家競演会新人賞受賞
サンケイホールブリーゼにて

  • 井上 安寿子(いのうえ やすこ)
  • 昭和63年生まれ
  • 京都府
京舞の伝承

京舞の中でも、井上流は品のある舞姿に加えて、能の型や人形浄瑠璃の振りを取り入れ編み出された、巧緻で上品な座敷舞の芸派。創始者の井上サト(1768〜1854)が、御所勤めで身につけた立ち居振る舞いや白拍子舞をベースに確立された流派という歴史を持つ。
井上安寿子さんは現在27歳。昭和63年、能楽師観世流九世かんてつじょうさんと、京舞の井上流五世家元の井上八千代さんの長女として京都に生まれた。2歳で稽古を始め、曾祖母で文化勲章受章者の四世と、母で人間国宝の五世に師事し、3歳で初舞台を踏む。
平成18年、弱冠17歳で井上流名取になるも斯界の名門の環境に甘んじることなく、その後も地道に修業と研鑚を積んできた。京都造形芸術大学舞台芸術学科に進んだのにも、「将来、舞台に立つ上で必要な裏方としての視点や技芸について学んでおきたい」という明確な目標があった。後に、井上さんは外から自身の家の流儀を見つめ直す有意義な時間だったと語っている。
平成23年の大学卒業後は、五世とともに都をどりや祇園のおさらいの会である温習会の活動に携わってきた。その五世から「若い人が若い人を教えるのは自分のためにもなるし、流儀の未来にもつながる」と言われ、後進の指導も行うようになった。平成27年に井上さんは学校法人八坂にょこう学園 舞踊科講師に就任した。
また、自身のリサイタルとして、平成25年に第1回の井上安寿子主催の舞踊公演「葉々ようようの会」を発足させ、来年で5回目を迎える。こうした活動で、平成25年4月 産経新聞社主催「新進舞踊家競演会」で新人賞受賞、平成27年度京都市芸術新人賞を受賞している。
長刀なぎなた八島やしま」「おみつ」など難易度の高い演目や、井上流の伝承大曲「信乃しのつぼみ八房やつふさ」は進境著しく、大器の片鱗を見せる舞台と評価されており、後進の指導にも携わるようになった活動の広がりを奨励する意味で、今回の受賞となった。


地域賞


ロクロ成型で利鉢(としばち)を水引きしている様子
仕事場にて 平成28年春

北海道・東北
  • 宗像 利浩(むなかた としひろ)
  • 昭和32年生まれ
  • 福島県
会津本郷焼の伝承・振興

今年、作陶40周年を迎える宗像利浩さん。東北地方最古の窯業地とされる福島県会津地方で作家活動を重ねてきた。会津の焼物は、若松鶴ヶ城の屋根瓦を地元の土で焼いたことに始まり、保科正之公が城主の頃には将軍家への献上用の茶器が完成されたという。
宗像さんは、平成17年に四百年を誇る伝統の会津本郷焼の宗像窯八代目当主となった。その創始者は福岡県の宗像大社から移住してきた布教師の宗像出雲守式部で、奈良時代(767)に宗像神社を建立し、その傍らで生計のために焼物を始めたのが今日に引き継がれることになったという。
会津本郷焼の特色は、地元の的場土と飴釉、灰釉などを用いて作られる、生活に根ざした壺や皿などの骨太な器類と茶器。六代の頃には柳宗悦、浜田庄司らの賞賛を得ている。そのひとつが地元の郷土食を入れる鰊(にしん)鉢で、宗像窯の六代目が昭和33年にベルギーのブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞している。
宗像さんは昭和32年生まれ。会津本郷焼の伝統を継承し、父祖伝来の皿や鉢、壺などの伝統的な器づくりに携わる一方で、新しい会津本郷焼の姿を切り拓いてきた。
座右の銘は「そうの美」。それは表面を飾らずに内面を充実させるという意味だが、その言葉通りに平成9年第14回日本陶芸展「としばち 」で準大賞。その作品は、機能性と釉薬の美しさで鑑賞品としても評価されている。そして平成10年日本伝統工芸展初入選(現在、日本工芸会正会員)、平成15年日本陶芸展文部科学大臣賞(以後、招待出品)、平成22年パリで個展、平成25年には東大寺に茶碗を奉納している。また、この間に平成23年の東日本大震災で歴史ある先祖代々の登り窯が崩壊する危機に見舞われたが、周囲の支援による「宗像窯登り窯再生プロジェクト」で修復されている。このほか、福島大学客員教授、会津大学短期大学部の講師として後進の指導にも力を入れ、地方の窯業地における伝統の継承、制作と振興に対する好例として、地域賞を受けることになった。


2ミリ幅に切り、濡れタオルに一晩はさみ湿らせた紙を石の上で揉む

関東
  • 櫻井 貞子(さくらい さだこ)
  • 昭和4年生まれ
  • 茨城県
紙布の制作・伝承

日本には、古くから和紙を漉く里には、庶民の知恵としてを使う文化があった。紙布とは、和紙の糸で織った素朴な布。安価で防寒性や防水性があり、庶民の労働着などとして使われてきた。そのなかで、宮城県白石市に伝わる「白石紙布」は伊達藩が将軍家への献上品に使った極上品とされる紙布。
その「白石紙布」に櫻井さんが出合ったのは48歳の時。繊細で上品な紙の織物で、他の紙布とは別格の存在感に驚いた。それまで8年間、櫻井さんは佐賀錦という絹織物を織っていた素養もあり、白石紙布の素晴らしさに魅了されることになった。
江戸時代、伊達藩を支えた片倉小十郎に仕える侍たちが分業で作っていたのが白石紙布。明治に入ると、その手法や技術が途絶えてしまい、昭和のはじめに片倉家の末裔と研究者が復元に取り組んだ。現在も白石市でその末裔が数人制作してはいるが、後継者不足や紙布専用の紙の入手が困難になっているのが現状だ。
櫻井さんは、入手できた唯一の文献を頼りに、地元の茨城県産の那須こうぞを使い、西ノ内紙職人の協力を得て試作を重ねた。カッターで2ミリ幅に和紙を切り、紙糸づくりが始まる。「揉む」、「績む」、「撚る」、「染色」と織り上げるまでを一人でこなす。1反の紙布を作るには1万メートルの糸が必要だという。その苦心が昭和54年第26回日本伝統工芸展に紙布織「水引草」初入選の快挙となり、昭和60年からはアメリカのモリカミ美術館招聘の個展を開催するなど、海外で高い評価を得てきた。
たていとの素材により絹紙布や綿紙布などがあり、難しいのが経糸とよこいとに紙糸を使う諸紙もろじ。それを復元し、昭和63年現代美術今立紙展で「諸紙布経緯絣」で入賞し、独自の紙布の作風を確立した。40年間に及ぶ創作活動を続けてきたのは、文献探しなどを担当し、8年前に他界した夫・櫻井喜一氏の力も大きい。
その技術の継承が途切れぬように、平成26年から京都出身の女性を弟子に受け入れた。平成29年には米寿を記念して紙の博物館で特別展を開催予定だ。紙布の創作だけではなく、白石紙布の復興と郷土の和紙育成に果たした貢献で今回の受賞となった。


母 木村澄子の三回忌追善演奏会で「壇ノ浦」を演奏。杵屋喜三郎宗家はじめ金沢ゆかりの方々が助演した。
平成27年10月25日 石川県立音楽堂邦楽ホールにて

北陸・甲信越・東海
  • 木村 陽子(きむら ようこ)
  • 昭和30年生まれ
  • 石川県
金沢素囃子の継承・振興

邦楽のオーケストラと称される金沢素囃子。唄と三味線からなる長唄と、小鼓、おおかわ、太鼓、笛などからなる鳴物の二つの技法から構成され、歌舞伎囃子の流れを汲む総合芸術。歌舞伎の劇場音楽として発展し、劇場を離れた純粋音楽としても演奏されるようになった歴史を持つ。
木村陽子さんは、母の故・木村澄子(長唄 杵屋喜澄、囃子 望月太以)の長女として生まれ、幼少期から「芸を高めるのには毎日の努力しかない」と、祖母や母に三味線と長唄、鳴物の手ほどきを受けてきた。長唄芸名をきね喜三以満きさいま、囃子芸名をもちづき 。舞台で演奏する譜面はすべて自分で書き写すようにという祖母や母からの教えを守り、稽古に励み、長唄は唄方と三味線方両方、鳴物は笛以外すべての楽器をこなす。オーケストラの指揮者がほとんどの楽器に精通しているのと同じように、素囃子が一人では完成しない総合芸術といわれる所以である。
昭和48年、18歳の時に長唄宗家十四世杵屋六左衛門師の内弟子になり、昭和58年より長唄宗家十五世杵屋喜三郎師に師事。囃子は、十代目 望月太左衛門師、十二代目 望月太左衛門師、五代目 もちづきぼくせい師に師事した。
平成6年、十二代望月太左衛門襲名披露演奏会で母娘二代で歌舞伎座出演。平成7年には第1回「日本の祭典」でニューヨークのカーネギーホールに金沢素囃子保存会として母娘で出演している。その母の木村澄子は平成16年、第24回伝統文化ポーラ賞の地域賞を受賞している。 現在、木村さんは母の木村澄子から継承した長唄、囃子の会「ほうかい」主宰、金沢素囃子保存会の副理事長を務めており、金沢茶屋街の「ひがし」「主計かずえ町」の芸妓の指導を継承。自身の娘の木村千裕さんら弟子を育てる一方で自らも研鑚し続けている。祖母から母、そして娘へと三代にわたる、こうした師承の芸の継承発展に尽力したことが、今回の受賞になった。


原石を硯の型にし、石に描いた図案に添って彫刻を浮き立たせるように金槌とタガネで落とす様子

中国・四国
  • 堀尾 信夫(ほりお のぶお)
  • 昭和18年生まれ
  • 山口県
赤間硯の制作・伝承

古典的な硯が持つ制約を取り払い、墨をする陸(墨堂)と墨汁をためる海(墨池)があれば硯として成立するという柔軟な発想で、あかすずりによる新しい硯の造形世界を切り拓いてきた堀尾信夫さん。
赤間硯は、15世紀末頃から下関市の関門海峡沿いに硯師たちが定住して始まったとされ、600年以上の歴史を持つ。堀尾さんは、昭和42年に23歳で父の堀尾卓司さんに師事し、地元特産の赤間石を使った伝統的な赤間硯の継承者として半世紀にわたり歩んできた。父もまたこの歴史ある赤間硯を近代美術工芸として蘇らそうとした硯作家だった。
赤間石は赤褐色で緻密さに粘りもあり、墨をするためのざらついたほうぼうの大きさが一定で、墨色の良い墨をすることができる硯に適した石といわれている。地元の赤間石を使い続けることにこだわる堀尾さんが、その作品《「ふね」硯》で初入選を果たしたのは、昭和46年の第18回日本伝統工芸展。そして、平成10年第14回伝統工芸第七部会展の「長方研」で日本工芸会賞、平成11年第46回日本伝統工芸展の「無地研」で日本工芸会奨励賞、平成21年第56回日本伝統工芸展の「横置楕円研」で日本工芸会会長賞を受賞。その作風は、古硯に原点を置きながらも、面と線を活かし、現代的な感覚を投影させた独自の造形美を追求し、赤間硯を人々に親しみやすいものとしている。
こうした活動により、平成11年に山口県選奨、平成14年山口県指定無形文化財赤間硯保持者認定、平成26年には旭日双光章の栄誉を受けている。このほか日本工芸会山口支部の副幹事長、参与として伝統工芸の普及、振興に務め、日本伝統工芸展や伝統工芸諸工芸部会展の鑑査・審査委員も務めている。また、講演や実演で赤間硯の歴史、技法や鑑賞法を紹介するとともに、平成元年と、平成22年に入門した後継者の育成にも力を入れており、今後のさらなる発展を期待して地域賞に選定された。


第十六座 八雲払(やぐもばらい)の一場面
平成27年10月3日 阿蘇市神楽フェスティバルにて

九州・沖縄
  • 中江岩戸神楽保存会(なかえいわとかぐらほぞんかい)
  • 昭和35年設立
  • 熊本県
岩戸神楽の保存・伝承

中江岩戸神楽は、約240年前から熊本県阿蘇市波野の中江地区で続く国選択無形民俗文化財指定の民俗芸能。約1400年前に創建された地元の荻神社で、4月と9月に開かれる春秋の祭りや7月の阿蘇神社の祭りに奉納される神楽だ。2つの神社には、阿蘇ゆかりの神々が祀られており、神楽も「天の岩戸」など『古事記』や『日本書紀』に出てくる神話を題材にした内容になっている。宮神楽、里神楽、宮雅楽と まいなどの鮮やかな色彩の衣装をつけた舞楽を取り入れ、バラエティー豊かな構成になっている。
この神楽を舞うのは、中江地区の22世帯の小さな集落に暮らす男性たち精鋭15名。準備を手伝う女性たちも加えて集落が一丸となって神楽に取り組み、県内外や海外に伝統を伝えてきた。
演目は全部で三十三座。第一座の「ほうれい」で神々に祈る儀式から33番まで連続した神話劇が続く。素面で舞う神楽や、仮面をつけて神話を演劇風に踊るもの、第二十座「しばひき」は神と観衆が榊を引っ張り合うコミカルなもの、第二十三座「綱の竹(てんしめ)」のように高い竹竿に登って舞う曲芸風の神楽など様々な内容だ。
しかし、近年は他の娯楽施設や過疎化の影響で、全三十三座の伝承が難しくなっていた。
そんな折、平成2年1月に熊本県立劇場で24時間通しの三十三座完全復元公演をする企画が持ち上がり、監修者立ち合いのもと復元に成功。それを機に保存会の活動に弾みがつき、平成4年からは毎月定期公演を実施。神楽を中心とした村おこしが進んだ。荻神社の隣には専用の稽古所の神楽殿を建設、道の駅・波野には神楽フェスティバルが行われる神楽苑、神楽が学べる神楽館などがつくられている。
こうした活動により、平成元年熊本県文化財功労者賞、平成9年くまもと県民文化賞、平成17年伝統文化活性化国民協会賞、平成18年文化庁地域伝統文化功労者表彰を受けた。また、後継者の育成にも力を入れており、地元の小学校や中学校での定期的な神楽指導を行っている。中江地区は先の熊本地震による被災は軽微であったが、阿蘇神社は大きな被害を受けた。阿蘇神社や熊本の力になれるようにと保存会は定期公演をいち早く再開するなど復興への動きを加速している。これまでの岩戸神楽を継承するための一連の活動に加え、今回の地震によって保存会の結束力も一段と充実し、地元を復興へと元気づける期待も高まり、今回の地域賞の受賞となった。

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