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顕彰と助成

本年度の受賞者

平成30年度 第38回 伝統文化ポーラ賞 受賞者(敬称略)


優秀賞

工房で長板中形の糊置きを行う
(平成29年4月)

  • 松原 伸生(まつばら のぶお)
  • 昭和40年生まれ
  • 千葉県
長板中形の制作

藍と白の明快な対比が際立つ「長板中形」。6メートルを超す細長い板に生地を張り、「型紙」の柄に合わせて糊を置き、本藍で染める熟練の技を要する伝統工芸だ。江戸時代前期ごろから夏の浴衣を染めるのに使われたことから、浴衣染の代名詞となった歴史を持つ。

松原伸生さんは、祖父、父と三代にわたって受け継いだその技法を、今度は新しい感覚での柄選びや、染める素材にも工夫を重ねるなどで活かし、注目を集めている作家だ。

昭和40年、伸生さんは東京・江戸川区の染色業を営む大家族の家に生まれた。通常、「長板中形」は型紙を使って糊を置く「型付」と、藍を建てて「染める」という二つの分業で製作が成り立つ世界だ。しかし、祖父の
松原定吉さんは、その伝統的な業界の分業の垣根を越えた一貫した製作に取り組み、昭和30年には重要無形文化財保持者となっている。そこには、自分で選んだ型紙で糊を置いた生地を、意図する色に染め上げたいという強い志があり、それは4人の息子たちに引き継がれた。その息子たちの一人である松原利男さんが、伸生さんの父である。

昭和59年、伸生さんは東京都立工芸高等学校を卒業後、19歳の時に現在の環境のいい千葉県君津市に工房を構えて一家で移り住み、父親を師として「長板中形」の修業が始まった。一切の口頭での説明もなく、結果から学べという厳しい父親のもとで基礎を学んだと当時を振り返る伸生さん。「長板中形」の特徴でもある両面に防染糊として糊を置く加減や、その日の気温や湿度で配合する糊の工夫なども、経験を通して自分のものにしてきた。

その精巧無比な両面型付の技術や清涼感ある染め色の発色、麻や絹などの生地を使用するなど、洗練された作品づくりに挑戦する姿勢が評価されている。その実力は、昭和62年に日本伝統工芸展、伝統工芸新作展の初入選を皮切りに毎年のように受賞を重ねており、特にここ10年くらいの工芸会での進境も著しく、その充実した活動が評価されて今回の受賞となった。また、地元の小学校での体験授業や博物館での講師や工房開放などの社会貢献活動も積極的に行い、平成29年には千葉県指定無形文化財保持者の認定も受けている。


「「本朝廿四孝」 十種香の段
役名:八重垣姫(平成29年1月、国立文楽劇場公演)(撮影:小川知子)

  • 三世 桐竹 勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)
  • 昭和28年生まれ
  • 大阪府
人形浄瑠璃文楽人形の伝承・振興

「指の記憶を脳の引き出しの中に沢山ストックしておけば、人形を遣っているときに、それまで動かなかった何かが脳とつながって、ひょいと動き出すのではないか」と、著書『一日一字学べば、、、』の中で50年を越えた人形遣いの妙味を語る桐竹勘十郎さん。昭和28年生まれの65歳。「人形遣いは60代からが勝負」と言われるなかで、まさに立役、女方、三枚目と幅広い役柄を遣える第一人者とされる。

二世桐竹勘十郎を父に持ち、その紹介で三世吉田簑助に師事したのは14歳の時。吉田簑太郎として昭和43年に文楽協会技芸員となり、『壇浦兜軍記』の水奴という端役で初舞台。ご存知のように、文楽は首、左手、足と3人で演じるもので、足遣い10年、左遣い10年、首と右手を動かす主遣いは一生の修業が必要と言われる世界。簑助師匠の元で、来る日も来る日も足遣いを務めてきた。その時に師匠から気づかされたのが、いくら自分が上手な足遣いをしても、役に寄り添う足でなくては仕方がないということ。以来、見て、慣れて覚えて「神経を一本でも芝居とつないでおけば、どこからでも得るものがあるはず」と、人形遣い一筋に歩んできた。

平成15年、歌舞伎とは違って世襲ではない文楽界で、三世桐竹勘十郎として亡父の名跡を継ぐことになった。50歳を迎えていた簑太郎に、「継ぐなら今やで」と後押しした簑助師匠のはからいがあったという。
 『本朝廿四孝』の八重垣姫のような動きも激しい古典物から、復活狂言や新作物までの役柄を軽々と演じ分ける稀有な存在。近年は、NHK子供番組「にほんごであそぼ」にレギュラー出演や、生まれた地元の大阪の小学校で実技講師をするなど、未来の文楽への働きかけにも努力している。

平成20年には芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章を受章。平成22年に日本藝術院賞(第66回)、同24年には国立劇場文楽賞文楽大賞を受賞。(一社)人形浄瑠璃文楽座理事、京都文教大学客員教授も務める。こうした幅広い活動の中で、的確に人形を拵えて舞台を務め、文楽ファンを魅了していることから、今回の受賞となった。


奨励賞

木工轆轤による仕上挽き(平成30年)

  • 月 國光(たかつき くにみつ)
  • 昭和51年生まれ
  • 岡山県
木工芸の制作

木の生命力を感じる、ひとつひとつ違う年輪の美しい表情が引き出されているのが郷原漆器の特長。岡山県真庭市の郷原地区で約600年の伝統を持つ、素朴でぬくもりのある漆器だ。昭和20年の終戦の混乱の時期に、生産が衰退して伝統の技術が途絶えてしまった。そんな中、平成時代に入ってから、その復興への取り組みに木地師として加わったのが
月國光さんである。

月さんがこの道に入ったのは23歳の時。それまでは高校、大学と空手の選手として海外遠征をするなどして活躍してきたが、海外で異文化に触れるうちに日本の伝統文化の大切さに気づき、石川県挽物轆轤技術研修所に入ったという異色の存在だ。

郷原漆器の具体的な復興は、平成元年から岡山県郷土文化財団が中心になって始まった。平成15年に研修所を卒業した月さんは、平成18年に郷原漆器が「岡山県指定重要無形民俗文化財」となり「郷原漆器生産振興会」が開設されると、木地師として迎えられる。同時に「郷原漆器の館」の館長として就任。その間に塗りの研鑽も重ね、平成13年には兼六園で開催された第7回工芸作品公募展で石川県知事賞、同17年には第48回日本伝統工芸中国支部展で岡山県知事賞を受賞するなど、作品づくりの腕を上げていった。

「郷原の豊かな自然を活かした漆器」の良さを語る月さん。乾燥させずに輪切りにした山栗などの生木を、旋盤で一気に削り上げる時に浮かび上がる、山水画のような木目模様が面白いと説明する。

平成29年、鉄鉢型の伝統的な力強いフォルムと美しい黒漆の「欅造鉢」で、日本伝統工芸展でNHK会長賞に輝いた。ブラックカーボンを溶かした漆を木地に何度も塗っては拭く「拭き漆」という手法で、「木が持つ優しさに加えて、背後にある自然界の厳しさも表現できる色」として、まさに漆黒の美しい鉢が完成した。

月さんの作り出す、こうした伝統的な形をベースに、木工の新しい在り方を示している作風に技術の優れた裏付けの確かさを評価して、今回の受賞となった。


地域賞


工房でのアットゥシ織の様子(平成29年)

北海道・東北
  • 貝澤 雪子(かいざわ ゆきこ)
  • 昭和16年生まれ
  • 北海道
アットゥシ織の制作・伝承

「アットゥシ」とは、アイヌ語で樹皮衣のこと。貝澤雪子さんは、北海道に自生するオヒョウ(ニレ科)などの樹木の皮を素材にしてつくる織物「アットゥシ織」の伝承者。昭和16年に北海道日高村に生まれた雪子さんは、昭和35年に19歳で貝澤守幸さんと結婚し、北海道沙流郡平取町二風谷地区で、守幸さんの母ハギさんからアットゥシ織を伝承してきた。

姑のハギさんは「二風谷アットゥシ織生産組合」の副組合長であり、「手も器用で、商売も達者」だったそうで、雪子さんはその技を目で習得してきたと語る。そして雪子さんの代になり、以来50年以上にわたり「アットゥシ織」の第一人者として、アイヌの伝統を守りつつも、今までのアイヌ工芸品とは違う個性豊かな作品を生み出している。

アットゥシ織は、仕事の8割がオヒョウからつくる糸作りに費やされる。荒皮を剥ぎ、中の内皮を取り出して釜で煮て軟らかくし、洗ってぬめりを落とす。その後、乾燥させて細く裂き、捻じりを加えて結んで繋ぎ合わせて糸ができあがる。それを腰機と呼ばれる機織りにかけて、根気よく織り上げていくのだが、最近は帯地などデザイン性が問われる注文も増えて、草木染による染色にも工夫をしている。クルミやヨモギにハマナスなど、北の大地から取り出したような、やさしい風合いの色が美しく染め上げられており、最近はマリーゴールドの花のオレンジ色など、実験的な染糸などにもチャレンジしている。

こうした作品づくりで、平成17年アイヌ工芸作品コンテスト「伝統工芸部門優秀賞」、平成19年には第8回日本紬織物サミットでグランプリを受賞。また、平成23年には北海道アイヌ協会から優秀工芸師に認定され、同年「アイヌ文化奨励賞」を受賞。日本工芸会による「日本伝統工芸染織展」でも平成20年から毎年のように入選を果たしてきた。

これらの素材採取から機織りまでの一貫した工程を行う制作工程で、アットゥシ織の工芸的価値を一層高め、広めるものとして高く評価し、今回の受賞となった。


祭りの最大の魅力である、2日目の深夜に行われる「引き合い」(けんか)の様子
すれ違いざまに互いの行燈を壊し合う勇ましい若衆の姿は必見だ

北陸・甲信越・東海
  • 福野夜高保存会(ふくのよたかほぞんかい)
  • 昭和30年設立
  • 富山県
夜高行燈と夜高祭の保存・継承

「福野夜高祭」は、約360年前から富山県南砺市の福野地域に伝えられてきた”復興の祭り”である。慶安5年(1652)、全戸を焼失するような“福野大火”で焼け出された人々は、復興のために伊勢神宮から神様の「御分霊」を願い出たという。その御霊を携えたご一行の到着が夜になり、行燈の灯りを掲げてお迎えしたのが祭りの由来と言われている。ちなみに「夜高」とは、「夜高く掲げる」ことを指した行燈のこと。

この祭りを継承している「福野夜高保存会」は昭和30年に発足。毎年5月に福野神明社の春祭りとして開かれる「福野夜高祭」は、笛や太鼓の前触れのお囃子も賑やかに、行燈を載せた曳山20台ほどを、町の若衆たちが担いで練り歩く。製作期間は平均3カ月ほど。高さ約6メートルほどの行燈は、竹の骨組みに、和紙を唐獅子や牡丹などを象って貼った吊り物や山車などを重ね、蝋で補強してから紅などで彩色。最後にご神灯となる電球を組み入れた心木を中心にして、台座に組み上げていく。

特に「文久の大行燈」(1861−64年)と呼ばれた江戸時代末期の行燈は、高さ12メートルもあったそうで、保存会の新事業として平成12年に復元している。その年の祭りで初披露され、平成16年7月には富山県無形民俗文化財の指定を受けた。この頃から地元だけではなく、近県への観光PRや伊勢神宮参拝など積極的な活動も展開している。

平成23年には、約170年前に洪水から礼拝堂が復興した起源を持つフランス・リヨンの「光の祭典」に、”復興の祭り”のシンボルとして参加。平成25年、平成29年には福島県南相馬市の「相馬野馬追」に参加し、東日本大震災からの復興を願う支援活動のひとつとしての交流が始まっている。

平成29年、こうした国内外での復興支援活動が高く評価され、日本ユネスコ協会連盟主催による「プロジェクト未来遺産」に登録されることが決定。これら伝統的な祭りの継承と、復興支援活動の姿勢が評価されて、今回の受賞となった。


漆掻き講習、後継者に指導ならびに技術の継承(平成30年7月12日)

近畿
  • 特定非営利活動法人 丹波漆(とくていひえいりかつどうほうじん たんばうるし)
  • 平成24年設立
  • 京都府
漆生産技術の保存・伝承

古くから海外では「japan」と呼ばれ、評価されてきた漆工芸品。文字通り、漆は日本を代表する塗料として、数多くの建造物や美術工芸品に使われてきた。かつて政治経済、宮廷文化などの中心地でもあった京都は、漆を使った京漆器や仏像、京仏壇などを始め多彩な美術工芸品が製作されてきた。その京都と地理的にも近い丹波(福知山市夜久野町)で採取される「丹波漆」は、艶があって透明度が高く、乾燥が早い特長を持ち、蒔絵や螺鈿などの高度な漆工芸の技術を支えてきたのである。

しかし、他の産地と同様に、丹波漆も山の荒廃や技術を持つ人材不足などで、消滅の危機にあった。加えて中国産の漆の価格が安価なことから輸入量が増え、国内需要の98%を占めている深刻な事情がある。現在、日本国内の漆の消費量は年間約50トン、そのうち国内産漆の採取量は約1トンとされる。ウルシの木は、採取できるまでに生長するのに10年かかり、夏に牛乳ビン1本分ほどしか採取できず、その後は根元から切り倒してひこえの再生を待つという栽培方法で、計画的な生産サイクルが必要だ。

昭和23年、そんな危機を早くから予測して立ち上がったのが漆かき職人の第一人者だった故・衣川光治さん。植林から具体的な生産までを科学的な観察をして、膨大な記録を残している。そして、その活動に養鶏業の傍ら加わり、昭和62年に「丹波漆生産組合」の結成に加わったのが、
岡本嘉明さん(現・特定非営利活動法人丹波漆理事長)。平成3年には「丹波の漆かき」として京都府指定無形民俗文化財となり、あらためて保存団体としての重要さが認定されることになった。

その後、平成11年に京都府(丹波漆)、岡山県(備中漆)、徳島県(阿波漆)の3産地が中心になり「西日本の漆を守る会」を結成。地道に活動を続けていくなかで、平成18年、国土緑化推進機構から岡本さんが「森の名手・名人100人」に認定された。平成24年には「特定非営利活動法人丹波漆」を設立して、企業や若手人材の参画など幅広いネットワークを広げてきた。平成29年からは文化庁の国庫補助事業を受け、漆かき技術の伝承を担う後継者育成にも着手し、伝承事業として意欲的に活動を続けている団体としての将来性を期待され、今回の受賞となった。


玉串拝礼。住吉大社の御田植神事の中の1つで、本殿に於いて、今年の豊作を祈願する

近畿
  • 阪口 純久(さかぐち きく)
  • 昭和7年生まれ
  • 大阪府
上方芸能の保存・振興

「客たちは下界でのさまざまなる困難さを背負い、その困難という荷物を露地のそとにおろし、素のままの身になって、座敷にすわる。そのマレビトに仕える芸妓・仲居は、職業としての上代の巫女の末裔のようなものだといえそうである」と、作家の司馬遼太郎が評したのが、大阪ミナミ・宗右衛門町にあった料亭「大和屋」の四代目・阪口純久さんが背負ってきた道のりである。

「大和屋」は明治10年創業、大阪四花街のなかでも格式の高い大茶屋のひとつとして、政財界をはじめ文壇など各界の要人たちに長く親しまれてきた。明治43年には「大和屋芸妓養成所」(芸者学校)を創立、芸妓が鯱のように逆立ちする話題の「へらへら踊り」を創作するなど、代々にわたり大阪の花街を盛り立て、その文化の中心に位置してきた。

昭和7年、三代目阪口祐三郎さんの長女に生まれた純久さんは、早くから家業を担う人材として父から厳しい「仕込み」を受けてきた。4、5歳から日本舞踊の稽古を始め、6歳になると調理場にも入れられたという。昭和36年、「花街の魁」と呼ばれた三代目が亡くなると、四代目女将として後をつぎ、上方文化を積極的に発信する快進撃が始まった。

東京オリンピック翌年の昭和40年には、「南地 大和屋」本店を新改築。本式の能舞台をもつ上方芸能文化の殿堂として、芸能を披露する舞台にしただけではなく、地元の祭儀を行う拠点としても使い、数多くの文化人とのネットワークを広げてきた。その人脈づくりの手腕は、その後も遺憾なく発揮され、昭和45年の大阪万博で大阪各花街連盟を束ねた「大阪おどり」を開催、そのときの仲間たちの後押しを得て昭和58年には財団法人上方文化芸能協会(現:上方文化芸能運営委員会)を設立、理事に就任。それには、司馬遼太郎がまとめた設立趣意書をもって、花街の女将たちと企業や自治体を回る活躍を見せた。こうした活動で平成12年には大阪市民表彰を受けている。

平成15年、「南地 大和屋」の看板は下ろすことになったが、料亭としての「大和屋」のおもてなしの味とこころは、ホテルや各百貨店などに出店している店に活かされており、現在も上方文化芸能運営委員会の委員として、上方文化を残すために各種の講演会や催事で発信し続けている。その長年の功績を称えて、今回の受賞となった。


中尾くんち山神社にて獅子踊り奉納
(平成27年9月15日)

九州・沖縄
  • 中尾獅子浮立と唐子踊保存会(なかおししふりゅうとからこおどりほぞんかい)
  • 平成23年設立
  • 長崎県
獅子浮立と唐子踊の保存・伝承

リズムを刻む太鼓に哀愁を帯びた笛の音、鉦のカーンという音とシャギリ(お囃子)が盛り上げるなかで、アクロバティックな動きで観客を沸かせる獅子舞。かつて海外貿易の玄関口として栄えた長崎には、祭礼の中に異国情緒あふれる民俗芸能が息づいている。

そのひとつ中尾獅子浮立は長崎市の東長崎中尾地区に伝わる民俗芸能。その歴史は太鼓の内部に残る明和3年(1766)の墨書きなどの年号から、250年以上にわたって受け継がれてきたことがわかる。また唐子踊も明治中頃から「長崎くんち」の西浜町奉納踊から伝承されて神事に奉納されてきた古い芸能の踊りで、一時戦争で途絶えていたが、獅子浮立とあわせてひとつの芸能として統合された。

 いわば二つの芸能が独自の形式に仕立てられたもので、シャギリの笛・太鼓・鉦から始まり、立道具・笠踊・ササラ・唐子踊・仔獅子・月の輪・親獅子の順番に登場して上演される。会員は約50名で構成され、中尾にあり通称“山ン神様”の大山神社の9月15日の祭りや、長崎市の矢上神社の10月17日の祭礼に、4年1巡の輪番制として奉納されている。

 芸能の中心は、牡丹の花に戯れる獅子の親子の躍動感あふれる踊りだが、小学校1年生以下の男女約20人の子どもたちで踊る唐子踊も、獅子たちを鈴で導いたり、玉使い同士で身体を支え合いながら回転するなどの見せ場もあり、子どもから大人まで年齢層の厚い民俗芸能となっている。

こうした点が評価され、昭和43年に長崎市の市指定無形民俗文化財に認定。また、昭和37年には中尾獅子浮立と唐子踊保存会が保持する長崎諏訪神社くんち奉納のシャギリが、長崎県指定無形民俗文化財に指定されている。また、これまでに昭和59年長崎県教育委員会表彰・昭和62年長崎市教育委員会表彰・平成5年県民表彰・平成22年(財)伝統文化活性化国民協会の地域伝統文化功労者表彰など数々の受賞をしている。

音曲と舞踊それぞれの芸能に師匠がいるほど日頃から熱心に後継者育成に取り組み、地域住民が一体となって活動している。今後も保存・継承に積極的に取り組み、長崎の郷土芸能の振興に貢献する存在として今回の受賞となった。

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