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奨励と助成

本年度の受賞者

※年齢は平成22年8月12日現在(敬称略)

平成22年度 第30回 伝統文化ポーラ賞 受賞者


優秀賞

陶板から形成した四方の器の仕上げ作業。このあと乾かし釉薬を掛けて焼き上げる。

  • 大和 保男(やまと やすお)
  • 77歳
  • 山口県
「萩焼の制作・伝承」
大和保男さんは昭和8年、山口萩焼の開祖大和作太郎松録の次男林椿庵大和春信松緑の次男として山口市に生まれる。小学の頃、第二次世界大戦の影響を受け、窯の職人も召集され窯の経営も窮地に立たされ、陶工として窯の仕事を手伝うようになる。中学に上がる頃には父から萩焼の指導を受け、一人前の職人に成長していた。昭和26年、京都の臨済宗東福寺塔頭に2年間住み込み、陶芸家や画家と交流した経験から自らの表現方法を探り、塩釉(しおくすり)の技法を生みだし、独自の表現を獲得した。昭和34年光風会展工芸賞を受賞、以後、新しい造形を主軸として数々の賞を受賞。昭和50年日本伝統工芸展に初入選、この頃から塩釉で箔を圧したような表現の「炎箔(えんぱく)」という技法を確立した。さらに、萩焼では前人未踏の分野であった「陶壁(とうへき)」の大壁面の制作を手がけ、山口県立美術館やNHK山口放送局など数多くの施設において制作しており、萩焼の持つ可能性を開花させた。昭和55年日本工芸会山口支部幹事長に就任以来、30年の長きにわたり支部役員を務め、山口県立大学大学院の非常勤講師にも就任し、若手の指導・育成に当たる。また、平成12年にはフランスにおいて、「萩焼400年パリ展」を開催するなど、国際交流にもその果たす役割は増し続けている。

古典女踊の最高峰とされる「諸屯」。(今年3月14日浦添市の国立劇場おきなわで行われた、顕彰公演「一期初心」にて)

  • 宮城 幸子(みやぎ ゆきこ)
  • 76歳
  • 沖縄県
「琉球舞踊の伝承」
宮城幸子さんは、昭和26年琉球舞踊真踊流家元 真境名佳子師の研究所に入門、「諸屯」「伊野波節」「作田」三題を「真踊(まうどうい)」とする考えを忠実に継承し、その舞は、みずみずしく、控えめでもありながら凛とした気品に溢れた踊りと称されており、琉球舞踊の真髄を現在に伝えている。沖縄芸能の戦後復興の礎ともなった沖縄タイムス社の芸能祭や芸術祭にて実績を残し、昭和48年沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞、その技能は舞踊公演等を通して内外から高く評価されている。平成8年沖縄県指定無形文化財沖縄伝統舞踊技能保持者に認定、平成15年沖縄県文化功労者受賞、平成21年には国指定重要無形文化財琉球舞踊保持者(総合)に認定された。本年3月には、沖縄タイムス社、真踊流主催の宮城幸子顕彰公演「一期初心」を行い、至高の芸を披露した。また、真踊流佳幸の会会主として多くの弟子を育てると同時に、実演家として数多くの舞台に立ち、重要無形文化財保持者として、流派を超えて後進の育成に当たっている。今や琉球舞踊の伝承・発展に欠かせない存在である。

地域賞


五所川原立佞武多…夢幻破邪(むげんはじゃ:左)、芽吹き心荒ぶる(めぶきうらさぶる:右)、不撓不屈(ふとうふくつ:奥)

北海道・東北
  • 五所川原立佞武多運営委員会
    (ごしょがわらたちねぷたうんえいいいんかい)
  • 青森県
「五所川原立佞武多の保存・振興」
ビルの高さに匹敵する巨大ねぷたがゆっくりと市中心街を練り歩く。「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の威勢のいい掛け声とお囃子が行きかう。五所川原立佞武多は毎年100万人を超える人出でにぎわう夏祭りである。巨大ねぷたは明治・大正期に運行された記録が残っているが、電線の普及によりいつしか姿を消し、市民の記憶から忘れ去られようとしていた。平成8年、図書館の古ぼけたモノクロ写真に残された巨大ねぷたの姿に心を奪われた若者たちが、写真を頼りに設計図を作成、岩木川の河川敷で復元作業を始める。資金不足・人手不足の懸念はあったが、新聞やマスコミの報道、河川敷で日毎にかたちになっていくねぷたの姿に感銘を受けた市民の募金や協力が増え、80年ぶりに「武者」が完成した。「立佞武多」と命名されたねぷたは、五所川原市の肝いりにより平成10年から毎年8月運行されることになる。同時に東京ドームでの展示、「日本のまつり」への出展による全国的な知名度の向上、常設展示の「立佞武多の館」も完成し、地盤沈下に悩む地元商業界の起爆剤ともなった。囃子の団体は住民が自主的に運営。祭は市や商工会議所、観光協会、各運行団体等でつくる委員会が運営、今や市民の最大の誇りとなった。

「大序の場」
死者が生前に犯した罪行を審判し、それにより賞罰が与えられる地獄の裁きの場面 (撮影:花澤信幸氏)

関東
  • 鬼来迎保存会(きらいごうほぞんかい)
  • 千葉県
「鬼来迎の保存・伝承」
成田空港の東南およそ15kmに位置する横芝光町の虫生(むしょう)地区の広済寺で毎年8月16日に演じられる鬼来迎は、仮面をつけて演じる地獄芝居で、「大序」「賽の河原」「釜入れ」「死出の山」の4段構成で地獄の責め苦と救済を描いている。平安時代以降、浄土信仰に基づいて成立・展開した練供養や来迎会の仏教法会の流れを汲んでいるといわれるが、鬼来迎は、来迎会の儀礼を母体としながら、歌舞伎の技や、スペクタクルな演出をふんだんに取り入れている。かっては成田市ほかの千葉県内のいくつかの地域で行われていたが、現在では全国で現存する唯一の地獄劇として、早くから保護の対象となり、昭和51年には国の重要無形文化財に指定された。鬼来迎を継承する虫生地区は25戸からなる小さな集落であり、継承の困難さは並大抵でない。しかし、保存会にはすべての家から参加することになっており、理屈抜きにやるものだという意識を村全体が持っているからこそ続いてきたのだという。
近年、新たに3人の若者を迎え新しいメンバーで全てを演じることができ僅かだが安堵感も生まれ、保存・継承に一層力が入っている。

花鳥の塔。平成15年「いなみ国際木彫刻キャンプ'03」で井波彫刻組合員が全員で共同制作したもの。井波彫刻の伝統的なモチーフである「松、竹、梅、牡丹、亀、鷲、カササギ」等の動植物の図案を配し日本独特の風景を表した。

北陸・甲信越・東海
  • 井波彫刻協同組合(いなみちょうこくきょうどうくみあい)
  • 富山県
「井波彫刻の伝承・振興」
江戸中期、焼失した井波別院瑞泉寺の再建に際し井波町の大工4人が京都本願寺の御用彫刻師から技術を習ったことに始まる井波彫刻の歴史。瑞泉寺の山門や勅使門などに見られる彫刻の深さと曲線の躍動美を創造したその卓越した技術・技法は240年の時とともに井波彫刻として脈々として受け継がれ、井波彫刻師は全国各地の神社仏閣をはじめ、曳山や山車など幅広い分野の彫刻にその妙技をふるい民俗文化を支えてきた。協同組合は井波彫刻の普及・振興を図るため「井波彫刻総合会館」を開館し総合展示する他、彫刻技術をより幅広く、身近なものにも活かすべく様々な試みに取組む一方、先人の彫刻下絵の収集保存や彫刻歴史の記録など幅広い活動を行なっている。また後継者育成の「井波彫刻工芸高等職業訓練校」を設立、管理運営しているが、世襲に限らず全国から弟子を受入れて「荒落し」、「荒彫り」、「仕上げ彫り」など200種類以上の鑿や彫刻刀を駆使する彫刻技術の指導・伝授に尽力しており、そこで学んだ弟子は各地に戻り彫刻制作に励んでいる。いまや日本の伝統彫刻の習得拠点として木彫刻文化の伝承に大きな役割を担う井波彫刻。伝統の美が息づく木彫の里は今日も鑿を打つ音が響いている。

本年5月29日の京都芸術センターでの演奏会

近畿
  • 和田 一久(わだ かつひさ)
  • 65歳
  • 京都府
「京極流箏曲の保存・伝承」
明治時代に鈴木鼓村によって京都寺町で創立された箏曲京極流は、二世宗家の故・雨田光平の努力により昭和48年に国の選択無形文化財(記録をとる)に選ばれた。和田一久さんは京大在学中の昭和40年から福井市の雨田光平師のもとに通って修業し、譲られて師の没後昭和60年に三世宗家を継承した。その演奏は箏曲改革を志した始祖の意図を正しく汲んで伝承したもので、古雅でおおらか、抜群の歌唱力も高く評価されている。現在は京都の法然院をはじめとする寺院で毎年秋に個人リサイタルを続けてその普及に努め、京極流そのものの歴史と楽理を整理してその啓蒙に努めているほか、京極流の源流である箏の組歌の歌詞評釈・筑紫箏の基本文献の翻刻・筑紫箏と同時代の朝鮮雅楽書『樂學軌範』の訓読と語釈・和琴前史の研究などの音楽史研究・著作活動にも励んでいる。同時に氏のもとには、全国でも名の通った他派の箏曲演奏家が、折に触れ「歌謡を主とする」その楽曲の習得に通うなど、古典の見直しを通した真の日本音楽創生へ提唱が認められつつある。氏は現在は福井市在住であるが、京極流誕生の地での地道な啓蒙普及活動への評価と、後継者育成のための機会(平成22年度京都府古典芸能振興公演)立上げによる今後の活動への期待とから、近畿ブロックでの受賞となった。

1枚1枚に全精力を傾けて紙を漉く

中国・四国
  • 丹下 哲夫(たんげ てつお)
  • 86歳
  • 岡山県
「備中和紙の制作・伝承」
和紙制作が起こって千年と伝えられた旧川上郡備中町清川内。丹下哲夫さんは昭和21年にこの地で家業の和紙づくりの道に入り、今日まで60余年にわたり和紙を漉き続けてきた。昭和39年、新成羽ダムの建設に伴い清川内は水底に沈み、清川内紙の名は消えたが、丹下さんは倉敷市に工房を移転。受け継がれてきた伝統の技法・技術によって制作を続けながら、さらに「生きもの」といわれる和紙づくりに創意工夫を重ねてきた。氏の研ぎ澄まされた高度な技から生み出される和紙は備中和紙と名付けられ、特に書道用紙は滑りや発色がよく、美しい線が出ると全国の書家、画家から高い評価を得ている。また昭和41年完成の料紙「鳥の子」は東大寺昭和大納経の用紙として挙用された。さらに制作過程の技術的解明にも取組み「手漉和紙の出来るまで」他を発表するなど、和紙文化の継承・発展に貢献している。昭和58年の労働大臣賞(現代の名工)など数々の賞を受賞し、また平成16年には岡山県指定重要無形文化財に認定されている丹下さんですが、86歳の今も和紙への情熱は溢れんばかり。「紙は心で漉く」を信条として備中和紙の制作にそして後進の指導、育成にと元気に歩み続けている。

西米良神楽の1つ、村所神楽では、古来祭りの初めと終わりにこの「舞」を入れて、神楽全体を前(6番・地割の前)と後ろ(28番・手力男命の後)に納めた。それは、事始めの舞と事納め終わりの舞として位置付けたことから「挟み」と称した、と伝える。
(撮影:小河孝浩氏)

九州・沖縄
  • 西米良神楽保存会(にしめらかぐらほぞんかい)
  • 宮崎県
「西米良神楽の保存・伝承」
九州中央山地に位置する西米良村は、人口1300人余、総面積の約96%を山林が占める山村であるが、祖先から受け継いできた文化遺産が数多く残っている。
西米良神楽は大和神楽の流れを汲むもので村所、小川、越野尾の三系統ある。いずれも南北朝時代、九州における唯一の朝廷方豪族であった菊池氏が、菊池城落城後、後醍醐天皇の第9皇子懐良親王を奉じて米良山中に入山したことにより興ったものと伝えられ、文明三年(1471)懐良親王を祭る大王宮が建立された際に奉納されたのが米良神楽の始まりと言われる。その舞振りは宮中において舞われていた舞であり、優雅で荘重さを保ち、その中に勇壮な出陣舞等が見られる。朝鮮風や唐風の舞が取り入れている点は、奈良・平安時代の文化を経てきたものとも言われている。現在では、毎年12月に村内5地区ほど(地区によって開催年が違うため)で三十三番の夜神楽を奉納しているが、後継者や指導者の確保育成が厳しくなってきている。しかし神楽は村民に最も親しまれ、また心の支えともなっており、地区住民や氏子の協力により維持されてきた。さらに県内外の伝統文化イベント等に積極的に参加、平成20年に西米良神楽解説書を、平成21年にはDVDを作成し、住民をあげて貴重な文化の保存・伝承につとめている。

30回記念功労賞 賞状・副賞

国内外において、環境づくりや仕組み・場づくりといった面で長年尽力されてきた個人または団体を表彰します。


夏の盛り(8月初め)の漆植栽地のようす。漆液の掻き取りもさかんに行われ、漆樹には十数本もの掻き取りのあとが見られる。

  • 日本文化財漆協会(にほんぶんかざいうるしきょうかい)
「 『日本産漆』 生産・精製の保存・継承 」
漆はわが国を代表する工芸材料で、縄文時代にはすでに広く用いられている。蒔絵をはじめ、漆工芸は各時代とともに発展し、さまざまな技法表現を生み出しており、現在でも世界的に高い評価を得ている。しかし、漆工芸を支える基礎である漆液は、明治時代以降、外国からの安価な漆の輸入や化学塗料に代用されるなど、日本での生産が急激に減少し、廃絶の危機にあった。こうした状況にあって、日本産漆の伝統を守り、生産や精製の技術を後世に伝えるため、昭和47年、漆芸作家、文化財保存技術者、学識者らによって日本文化財漆協会が設立された。本協会は漆樹の植栽・保育、漆液の精製など、積極的に伝統を継承し、技術者育成の長年にわたる功績が評価された。

第59回全国民俗芸能大会出演の盛岡の法領田獅子踊り(於:平成21年11月21日、日本青年館大ホール)

  • 財団法人日本青年館
    (ざいだんほうじんにほんせいねんかん)
「民俗芸能の保存・振興」
大正14年、財団法人日本青年館は会館の竣工を記念し「郷土舞踊と民謡の会」を開催、全国各地の民俗芸能を東京の檜舞台でひろく一般に公開、やがて「新しい東京の年中行事」として定着させた。昭和11年、ときの社会情勢で中止をやむなきに至ったが、戦後の昭和22年いち早く再開し、同25年旧文部省芸術祭主催の「全国郷土芸能大会」に衣替え、さらに同33年「全国民俗芸能大会」と呼称変更して現在に至り、本年秋にはその第60回の記念大会の開催が予定されている。
上記のごとく財団法人日本青年館は一貫して我が国民俗芸能の保存伝承、普及啓発のために計り知れない多大の貢献をしてきたもので、その功労は極めて顕著で、讃嘆すべきものがある。

国際交流基金英国ロンドン日本文化センターでの講義の模様

  • ニコル・クーリッジ・ルマニエール
「日本文化の研究・紹介・人材育成」
ニコル・クーリッジ・ルマニエールさんは、主に日本の陶芸史、工芸史を専攻しながら、幅広く日本の美術・工芸の調査・研究を行い、その業績が認められセインズベリー日本藝術研究所長に就任、また大英博物館日本部客員研究員に迎えられている。その間大好評を博した2007年の大英博物館での「わざの美 伝統工藝の50年」展ほか数々の展覧会を企画、昨年の「土偶展」では英国側企画員としても活躍された。2006年から3年間を東京大学で客員教授を務められたほか、活躍の場はイギリス、ヨーロッパ、アメリカ、日本に広がる。その指導法は、現場を通して考え・学ぶ独特の方法で学生に大きな刺激と影響を与え「ニコル・チルドレン」ともいわれる多くの研究者が育っている。現在は、日本工藝の現代を欧米に紹介する「大工芸展」の開催を計画をしており、日本の工藝の国際社会への定着に一層努めている。

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