第37回 伝統文化ポーラ賞 地域賞

綜絖掛け作業の風景。織るときに経糸を上下させる道具を綜絖という。南風原産地では、既製の綜絖以外、経糸に一本一本に糸をかけて、綜絖を作り出す独特の方法がある。

  • 琉球絣事業協同組合
    (りゅうきゅうかすりじぎょうきょうどうくみあい)
  • 昭和50年設立
  • 沖縄県
南風原花織の保存・伝承
シャラーン、トントンと機織りの音が響く、沖縄県南風原町の「かすりロード」。昭和50年に設立された琉球絣事業協同組合の本部がある「かすり会館」。その周辺のもとてるの地域一帯が、200人ほどの職人が集まる"織物のまち"南風原のメインロード。戸外に反物を広げた工房を、南国の風が抜ける風情ある散策ルートになっている。
歴史は古く、14〜15世紀に東南アジアから琉球王国に伝わった絣は、江戸時代の日本へ伝わり琉球絣となり、日本全国の絣のルーツにもなった。絣や花織もその一つで、琉球王府所縁の600種もの図柄が納められた
ちょう」を元にした、多彩な幾何学模様が織り込まれている。いずれも平織をベースにかすりいとで文様を表すと琉球絣、部分的に糸を浮かせて文様を作ると緻密な浮き柄の花織になる。特に花織は県内で採取した琉球藍、フクギ(福木)などの植物染料で染めた糸によって織る、花のように美しい図柄が特徴とされる。
その伝承は、明治の頃から花織の技法を母から娘へ手仕事として教えていたとされ、現在もその技法は改良されながら織り続けられている。大正3年4月には南風原村立女子補修学校が設立。村の女性たちが花織の技術を習得し、それぞれの家の先代から伝わる手法も取り入れて、〈喜屋武八枚〉〈照屋八枚〉など独自の花織の技法を確立した。沖縄戦では壊滅的な打撃を受けたが、困窮する暮らしの中で組合員たちが材料の調達に工夫をするなどして見事に復興。昭和45年前後までは木綿の絣が主流だったが、現在では絹が90%以上になり、夏物や冬物に使う糸の素材や加工にも時代が反映されている。
南風原花織は、平成16年、琉球絣とともに、南風原町無形文化財指定、平成28年、経済産業省「伝統的工芸品」指定となった。こうして手仕事の伝統が琉球絣事業協同組合によって継承されてきた南風原花織には、宮廷所縁の織物ながら庶民が装うことを目的に発展してきた強みがある。時代のニーズに応える柔軟さが期待され、今回の地域賞の受賞となった。
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